はいからはくち
文芸春秋に掲載された松本隆氏の記事『団塊が「日本のおじいさん」を変える』が面白い。子供時代からはっぴいえんど結成そして解散、フィールドを歌謡界に移しビッグヒット連発の時代を経由して現在に至るまでのキャリアを時代背景やその時々の思いを交え語った内容はとても読み応えがあった。記事中にある現在の音楽シーンの状況について日本語力の低下が歌詞の水準の低下を招きさらには音楽のパワーの低下、業界の地盤沈下を引き起こしているという見解はひとつの仮説として興味深いし、その要因のひとつとして音楽制作やアーティスト育成の現場でのディレクターによる『編集』作業が抜け落ちているとの指摘は音楽に限らず『編集』の重要さに今一度フォーカスする時代かなとここ最近考えていたこともあって自分なりにももう少し掘り下げてみたいなとあらためて思うところがあった。記事にはさらに今後の見通しについて、アナログ時代の終焉とともに複製芸術の時代は終わったのかも知れず、デジタルコピーの氾濫により作品の金銭的価値がゼロに近づくことで作り手のモチベーションは下がりプロがいなくなり作品の質は下がり供給も減ることで結果的には消費者が不利益を被る事になるだろうとの見方が披露され、プラス、それを解決するのは次世代の役割だよね、とメッセージされている。記事を読めば読む程そのキャリアの中でリスクをとって挑戦されてきたのが印象的でぐっとくるのでそういわず一緒に考えませんか?、と立場をわきまえず言いたくなってしまうところだが、この問題は若い世代が中心になってやっていくべき事であるというのは確かにその通りだろう。昨日のエントリーのChris Andersonの話ではないがデジタルコピーにより金銭的価値がゼロに近づいたとしてもそこにあるバリューはゼロになるわけではなく、そこにバリューがあるのであればそれはまた金銭的価値にコンバートできる道があるはずであるという前提でさらに考えてみたい。今わかってるのはそもそもバリューのないものはデジタルコピーされようがされまいが価値がないってことだけなんだから(当たり前だけど、ちょっと大事)。

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